これが本当の地域コミュニティ -前編-
作ろうと思ってできるものではない、そんなエピソードがあります。
祖母が東京に来た初夏のこと・・・
今からちょうど10年前、九州は佐賀県伊万里市の外れに住んでいた祖母。
80歳になり、1人暮らし。
今後のことも考えてと、東京にある我が家で一緒に暮らすことになった。
長男である私の父が、何度か東京に来るよう説得したらしい。
長年住んだ実家を明け渡して、慣れない東京で暮らすことは、
おそらくこちらへの気遣いもあったのだろう。
[絵に書いたような田舎町]
祖母の家には、幼いころ良く行った。
家の前には田んぼ、その先には山、田んぼの横に小川が流れ、歩いて5分で海に着く。
絵に描いたような田舎町、夏休みの宿題、日記の題材には事欠かなかった。
町は小さくて、大きなスーパーもない。
東京で暮らしている私にとっては、正直不便と感じることもしばしば。
海・山・川で遊ぶ他、することがない。
夜は想像以上に暗く、いつも節電モード・・・。
でも、家の前にはホタル、見上げれば満点の星空、今となっては貴重な体験を幾つもした。
[町はひとつの家族]
この町はなぜか温かい。
近所の皆が仲良しで、家の前を人が通れば、
「おばあちゃーん、元気!?野菜いる?」と声が掛る。
町全体が一つの家族のようにも思える。
この感覚、なかなか体験できるものではない。
こんな所があるのかと、幼いながらに驚いたのを覚えている。
何十年も住んだ町を離れると決意し、別れの日が刻一刻と近づいてくる。
どのような心境だったのだろうか。
[さよならは言いたくない]
東京に来ることが決まって、少し経った頃だった。
「みんなにさよならは言いたくない」
祖母はそう口にした。そういうのが苦手らしい。
きっと、離れたくない気持ちが大きくなること、分かっていたのだろう。
それでも、家のこと、庭の木々草花のこと、
誰にも言わないわけにはいかない。
祖母には大親友がいた。
「さとちゃん」というおばちゃん。
小さい頃は私も「さとちゃん」と呼ばれていたので、よく覚えている。
大親友の「さとちゃん」にだけは全て話した。
「他の誰にも言わないでほしい」と付け加えて。
この続きは明日更新
- 別れなのに温かい気持ちになりました…